越後屋の三井家は伊勢松坂出身なのになぜ「越後屋」か

 高久以降、三井一族は近江の領主六角氏に仕え続けましたが、5代目の越後守高安の時、天下統一を目指す信長が、上洛のため近江の国に攻め入り、六角氏の諸城を次々攻め落としていきます。三井一族は主筋の六角氏と共に観音寺城に立篭もり信長に抗しますが、いざ篭城戦という時、六角氏とその一族は一夜にして城から逃亡。三井一族も仕方なく逃亡を余儀なくされました。その後、三井一族は津、松坂な どを流浪し、最後に高安は、松坂の近くの松ケ島に安住の地を見付け、その地で没したと伝えられています。

なるほど。そんなご先祖にあやかって「越後屋」とつけたのか。
しかし、藤原道長までさかのぼれるとはなんと怪しげな。でも直接の血流は佐々木源氏の六角氏か。